2015/07/19

“学長”という“ダヴィンチ”をどう選び育てるか(花園大)


近年、文部科学省の要請もあり、大学では学長の権限を強めて、大学改革をよりすみやかに行えるようにしようという動きが強くあります。これ自体は社会の動きがどんどん速くなる昨今、ある程度必要なことのような気がします。でも、急に学長の権限を強めると、求められる学長像も変わるわけで、いろいろな弊害が出てくるみたいです。

以下、朝日新聞デジタルより。

学長空席のまま3カ月 花園大「宗教の素質も指導力も」 
学校法人花園学園が経営する花園大学(中京区)で、3月末に退任した前学長の後任が決まらず、学長不在が3カ月以上に及ぶ事態になっている。現在は副学長が学長代行を務めている。文部科学省は「トップ不在という事態が長引き、校務運営などに支障が出てくるようならば問題だ」としている。(後略)

記事によると、2回候補者をしぼって投票をしたものの、それでも決まらなかったとあり、難航ぶりが見て取れます。とはいえ今回の件だと、学長は、研究者、教育者としての実績があり、なおかつ法人の宗派である臨済宗妙心寺派の高僧であり、さらに強いリーダーシップが求められるわけです。

これって少し書くだけでもわかるように、ものすごくハードルが高いですよね。しかも、ステレオタイプな見方かもしれませんが、宗教で高位につく人というのは世俗からかけ離れた人であり、一方で近年、学長に求められる人は経営者マインドをもつ強いリーダーなわけで、いわばどっぷりと世俗に浸かっている人。その人間性は真逆といってもいいわけです。

さらにさかのぼって考えると、大学教授をめざす人というのは、自分が専門とする分野の研究をしたくてこの道に入った人であり、教育がとりわけ好きなわけではない場合も多々あります。

こういった状況のなかで、宗教家、経営者、研究者、教育者として高いレベルがないと学長としてふさわしくない……。もうこうなると、二足のわらじどころか、レオナルド・ダ・ヴィンチほどの多才さがないと学長としての資質を満たすことができないわけです。そりゃ、難航もしますよね。

ちなみに“宗教家”というのは、記事にあった花園大学だけの特殊な例だろうと思われる方もいるかもしれません。しかし、私立大学には宗教法人が母体となっているところが少なくなく、そういう大学には学長は母体となる宗教の関係者でなくてはいけないということがけっこうよくあります。

マルチな才能をもつスーバーマンが、すでに学長候補として学内にいる場合は問題ないでしょうが、そういうケースは非常に稀。そうであれば、大企業が将来の幹部候補を早々に目を付けて育てるように、大学も学長候補を見つけて早期から育成することが必要なのではないかと感じます。学長の権限が大幅に強化されつつある昨今、“次の学長”を育てることが、学長の主要ミッションの一つになってもいいようにさえ思うのです。

調べてみると、早稲田大学の教職員数が2016年の段階で約26,000人! 世間的には社員数が1,000人を越えたら立派な大企業なわけで、ここから類推するに大企業規模の大学はかなりたくさんあるはずです。今後の学長の選出は、大企業が社長を選ぶ(育成する)のと同じかそれ以上に、各大学で手厚く行われるようになっていくのか。今から興味が湧いてきます。

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